あの時、どのお好み焼きを [たべもの]
ずっと気になっていた店がある。
それは母とふたりで行ったお好み焼きの店。
子どもの私を結構な頻度で連れて行ってくれた記憶がある。
母はおそらく、仕事帰りで、自分も疲れていて、おなかもすいていて、娘の夕ご飯の支度がめんどくさくて手っ取り早くチャチャっと何か食べさせて家に戻りたかったのではないか…と推測している。
そういう店が私が覚えている限り、2軒あった。
そのうちのひとつは以前、ブログに書いたことがある。
中華のお店で「エビの入った柔らかい焼きそば」(エビ入りあんかけ焼きそばの揚げた麺じゃないもの)のことを書いた。
もう一軒がここである。
そこに行くとお母さんというのか、おかみさんというのか、女の人が元気な声で「いらっしゃいませ」と出迎えてくれる。
そこで何を食べていたのか…
食べたものに関してはまったく思い出せない。
でもお好み焼き一択だったのは確かで。
母のことだから、海鮮の入ったものか、コーンとか野菜中心のものを選んでいたのではないか…
やきそばやもんじゃ焼きは絶対に頼まない。
飲み物も多分オレンジジュースだったはず。
なぜかコーラを飲ませてもらえなかった。
食べ物の記憶はないのだけど、おいしかったことはよく覚えている。
それから帰る時におかみさんが「いつもありがとうございます。またお越しくださいね~」と歌ってるみたいに言ってくださったこともよく覚えている。
どの日も必ず「いつもありがとうございます」と言ってくれていた。
きれいな声だった。
ソプラノ歌手のようだった。
数年は通ったと思うのだけど、ほどなくうちは引っ越しして、そこには行かなくなった。
母とその店の話もしたことがない。
数十年経って、店のことを思い出したのが一昨年くらいだったかな。
今の世の中、スマホで検索すればあっという間に情報が得られるでしょ。
なんとなんとその店は今も同じ場所で、同じ名前で、同じお好み焼き屋さんとして営業していた。
私は20代も30代も40代も、あと自粛…過ぎている。
30年は忘れてた。
でも、あるのだ、あの場所に同じ名前で同じ形態で。
行かなくちゃ。
あの時のおかみさんはまだお元気だろうか。
と思いながら、2年以上。
夜からの営業のようだし、ちょっと遠い。
ごはんを作らなくてもよいどこかの夜というのかなかなか訪れない。
しかーし!突如として、その日が来た。
用事ができた。
その店の隣の駅で。
17時半からそこに行くのだ。
ごはんは作らずともよき日と重なった。
用事を済ませて19時。
友と別れて、一駅移動。
記憶をたどって甲州街道を渡る。
小学生の私が見たのと同じなのか???
看板、暖簾、すりガラスの引き戸、すべてが記憶と同じなのに驚く。
あんなに時間が経っているのに、同じ???
(多分、違うと思うのだけど、ほぼ同じものを買い替えている気がする)
意を決してガラス戸を引いてみた。
おじさんがひとり、いらっしゃいませと。
おじさんに驚く…
おじさん???
お母さんじゃない…
「予約してないし、ひとりだけどいいですか?」と聞いてみた。
先客はおじいさんがふたりで盛大に何かを焼いていた。
おじさんはこっちいいよ、と暗かったテーブル席のあかりをパチンとつけてくれた。
テーブルの配置もテーブルの真ん中に配置された鉄板もおんなじ場所におんなじようにあった。
座布団の上に座った。
座布団もあの時と同じと思うくらい同じ場所に、ひんやりと敷かれている。
もう大人な私は多分母が頼まなかった「豚玉天」とウーロン茶をください、と言った。
母はたいへん偏食なので、肉も食べられる肉と食べられない肉がある。
豚はほぼ食卓に出てこなかった。
スイッチを入れてくれた鉄板に手をかざしたおじさんは「もう少しね」と言って厨房に去る。
豚玉天とウーロン茶を運んでくれたあとは帰るまで私のところに来なかった。
黙々と焼いて黙々と食べた。
細胞に染みわたるおいしさだった。
食べているとおじいさんが「すみませーーーん、焼いてーーー」と大声。
おじさんは厨房から飛び出しておじいさんの鉄板で何かを焼いて仕上げてた。
私の席からはおじいさんの席はよく見えない。
焼いてくれ、と言ったら焼いてくれるんだなぁと。
そして会話が。
「1972年の始まりからずっと親の味を続けてやっています」
52年前の営業開始。
おじさんはおかみさんの息子。
おかみさんはこの人をお好み焼きで育てあげたんだ。
おじさんって書いてるけれど、私より年下の可能性ありありだ。
おかみさんがあの時30歳くらいだったとしたら現在は82歳。
お元気かな。
お店は息子に譲ったのだなぁ。
この一言でひとり、泣きそうになっていた。
豚玉天は優しく、ひたすら優しい味だった。
お金を払って(1000円でたくさんお釣りが来た)、何も言わず、またガラス戸を引いて店を出た。
泣けて泣けて仕方なかった。
母がいい、と言ったら、今度は母と行きたい。
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