最近 [つれづれ]
数日、さまざまなハプニングにみまわれております。
現在、やることが山盛り過ぎて余裕が全然ない。
ひとりでかんしゃくを起こす。
かんしゃく…って。
古いよね、最近の言葉だとキレた、だね。
誰も見ていないのでかんしゃくを起こした後、自然に泣いた。
泣いて思った、泣くの久しぶりだ。
泣けばいいと思ってとか、泣けば許されると思ってんでしょ…って世間では言われたりするけども、一人で誰にも知られずに泣くのはいいと思う、許されると思う。
何よりココロの浄化であります。
このところ、文章を書くのをあえてやめていた。
ずっとずっと書いてきたと思う。
書くの、好きなので。
好きの最上級のところに「書く」があるのです。
でも意図して書かなかった。
当たり前にしてきたことをやめても、人生にあまり変化はない。
このまま書くのはなしになっていくのかと、思っていた…ら書く仲間から、書きなよ要請が…
おお、まさかの展開。
でも、自分でもちょっとうずうずしていた。
これもかけそう、あれも記しておきたい。
また書こう。
年始に今年の抱負って考えるでしょ。
考えなくても、元旦に誰かに聞かれない?
そこで、うーんってしばし考えて「今年は英語を勉強してみようかと」とか「ゴルフをやってみたい」とか「水着を着るために5キロ痩せる」とかぽろっと口から出てしまって、やってみるかって思うことありませんか?
でも、多くの人は2月くらいで忘れ、春にちょっと思い出すけどまた忘れてしまうことが多いと聞いた。
でも、みずがめ座って実は言ったことをぐじぐじといつまでも覚えていて、3月でも6月でもポケットに手を突っ込んででてきたチョコみたいに今年の抱負を取り出す持ち主らしい。
まさしくみずがめ座のワタシはなんなら1か月くらいのスパンで達成できているのか考えてる。
抱負をいいあった友達と夏に会って、どうした?やってる?なんて尋ねて、相手にそんなこと言ったっけ発言されて、あげく呆れられる。
2018のワタシの抱負はチャレンジなんです。
5キロのマラソンレースから始まって、山登り、着付け、ある検定の受験、またマラソン、さらにマラソンと抱負を結構実行に移してきたような気がします。
苦手過ぎて避けてきたことをあえてやってみたのは、もうこんなおばちゃんを誰一人見てないからボロボロでやっててもいいやっていう開き直りと、やりたくない分野だけど、やらないことがちょっと悔しいって思ったもので…
特にマラソンは辛くて苦しくてなんでエントリーしちゃったのかと走りながら自分に激おこなのに、ゴールして帰りの電車に乗る頃には次のことを考えているという大変化を遂げていまして。
ワタシが学生の時、いいなぁ走れて、早くて、かっこよくてと思っていた同級生や後輩ほど、今は10メートルも走れないってほぼ全員が言うのです。
膝が痛いそうです。
ワタシは膝をまったく使わずに過ごしてきたので、まだ少し動くんだと思う。
抱負を実行したら、こんなんでも頑張ったで賞を自分にあげたい気持ちになりました。
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