花に嵐の [つれづれ]
え、え、と声が出る出来事がまた…
田村正和さんが亡くなられたことを知りました。
小学生のころ、大好きでした。
どの作品を観て好きになったんだろう。
ウィキを読んで、出演作品をたどってみたけど、あっこれ、とピンとくるものは見当たらなかった。
「新吾十番勝負」というのか、一連の大河ドラマのあたりじゃないかと。
時代劇のかつらがものすごく似合ってた。
本当の髪で結ったような感じ。
何も知らない子ども時代なので、精工なかつらとかよくわかってなかった。
語彙もないので、何がいいのか口で表せない。
感じていたことだけ思い出す。
立っている姿がかっこよかった。
竹みたいなしなやかですっとした様子からいい匂いがしそうな人って思っていた。
「この子、田村正和が好きなんだって」
母が母の友だちとお茶飲みながら雑談している時に、私のことを話した。
お友だちのその時の反応はまったく覚えていないのだけど、【やだ、なんでそんなこと言うの。恥ずかしい】と【へへ。そうなんです。カッコいいですよね】という気持ちになった。
私の生きる小さな世界にはこういう人はいなかった。
テレビの中の人、もしかしたら存在さえしないんじゃないかと思うくらい、違う世界の住人さんのイメージ。
大人になってから、プライベートを一切出さない人だって聞いてなるほどと思った。
TBSドラマにたくさん出演されていた記憶あり。
何かのドラマの1シーン。
奥さんにやましいことがあって、それを申し訳ないって思ってて罪滅ぼしにケーキを買って帰る。
前段階で、奥様同士の世間話のシーンがある。
【誕生日でも記念日でもないのにケーキや美味しいものを買って帰ってくる旦那はココロにやましいことがあるからなのよ】と聞かされる。
奥さんはケーキを喜ぶんだけど、数時間前の会話を思い出し、あれ?って思う。
なんでこれを?と聞いたのかなぁ…タムラ旦那は焦り、詰まりながらも何もない、食べたいだろうと思ってという。
このシーンがなんとなく忘れられなくて。
時代劇の匂いたつような美しい立ち姿と対局のしどろもどろな旦那さんなのに、すごくかわいく、すごく普通の、すごく身近な人に感じた。
田村さん、レスリーとの今生の別れを思うとただ切なく、寂しい。
「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」
上は唐の詩人、于武陵の「勧酒」を井伏鱒二が訳したものだそう。
これを「ただ別れを惜しむ」と内容だと今まで思っていた。
なので、今回の報に、この言葉が胸に浮かんだ。
しかし、この先を考えている人がいるようです。
「人の生にはいつ別れはつきものである。その別れがいつくるか、誰もわからない。だから。今の時間を大切にしよう」と。
人はぐうたらに過ごすこともできるし、目標を掲げて懸命に自分を磨くこともできる。
田村さんもレスリーも私を知らない。
私のばあちゃんや父、若くして天国に行った同級生に、次に会う時「地上で私はこういうこと、ああいうこと、こんなこと、あんなことを努力してきたよ」と報告できる日々を生きるべきではないか。
ひと時、私を楽しませてくれた芸能の世界に生きた人との別れに、こんな気持ちになったので綴る。
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